八綱弁証とは、病人の証を決定するにあたって、陰一陽、表一裏、寒一熱、虚一実という8種の基本綱目の4対の組み合わせに基いて、病状を分析帰納して正しい診断に至ろうとする方法ですよ!。

八綱弁証は種類を問わずすべての疾患に応用することができます。

 表裏弁証

表裏は漢方医学における病位についての分類であって、まず定義から考えると、表裏は上下と内外という2つの概念から成り立っている。つまり、病証が、上にあることと外にあることを表証といい、下にあることと内にあることを裏証という。

上下の境界線は普通、顎(あご)を境界線と考えてよい。内外の境界線というのは、素裸になって目に見えるところが、表であって、目に見えない部分が、裏ですね。一応概念的には以上のように考える。 それが、実際の症状として考える場合は、頭痛・身痛・苦痛・体表痛を表証といって、胸腹痛・内臓苦を裏証という。

ある病人を目の前にして、まず最初に決めなければならないのは、表か裏かという問題であって、つまり表裏について択一的選択をしなければならない。

この択一的選択は、順序からいって、病人の主訴を優先にして、医師の所見を第2にする。

優先という意味は、患者の主訴により択一的選択が、なんなくなされうるなら、そのまま病人の主訴により分類し、医師の所見を必要としないわけですね。

患者の主訴の分類のしかたは、いろいろの主訴のなかに優先順序があって、それをズバリ一口でいうと、苦痛が優先し、苦痛によって決められない場合は熱型による。

医師の所見により決める場合は、脈状を優先し、その次に舌苔をみる。

それゆえに、病人の主訴と医師の所見を一括して考えると、優先順序は第1に苦痛、第2に熱型、第3に脈状、第4に舌苔という順になります。

まず苦痛から考えると、主訴のなかの苦痛が、頭身痛・体表痛なら表証、胸腹苦・内臓苦なら裏証。

熱型でいうと、稽留熱なら表証、非稽留熱なら裏証、と考えることができる。

つまり、病気さえ治らなければ熱が摂氏1度の差で続いている場合が表証。

病自体が治らぬ、あるいはいろいろの治療手段によっても熱の上下が1度以上越えるならば裏証とする。

次に脈状について、浮脈を表証とし、沈脈を裏証とする。 浮脈というのは、指先をちょっと触れただけで、すぐ脈腫が感じられるような脈の状態であって、それを強くおしこむと、かえって、ちょっと触れたより弱く感ずるような脈です1沈脈というのは、強くおしこんで感じられ、強くおしこまないと非常に弱いか、あるいは全然感じられない脈ですね。

主訴によって決まらず、また脈からも具体的に浮沈がわからずに決められない場合に舌苔を見ましょう。舌苔による表裏の択一的選択というものは、舌苔が白くて薄い場合は表証とし、舌苔が黄色くて厚い場合は裏証とする。この場合、表証の条件は厳しくて、薄いことと白いことと2つの条件が揃った場合のみを表証と考えます。裏証の条件はゆるく、厚いか黄いかのうちの1つの条件があれば裏証といえます。

脈の浮沈が決められない場合があっても、浮でもあり沈でもあるということはあり得ないことですね。

決められないことはあっても、両方に決まるということは絶対にないです。

舌苔においても、白か黄か、薄いか厚いか、見わけがっかなくて、ついに決められない場合はあっても、白くて黄い、また薄くて厚いという変なことは絶対にありえないです。

したがって医師の所見によっては、表裏が決められないということはありうるけれども、表裏ともに両方あるということは考えられない。だから、ここでは問題はないけれど、主訴によっては、決められないのではなくて、両方とも決まってしまう場合がある。決められないというよりは、両方に決まってしまったということになります。こういうように、表証にも裏証にもとれる場合には裏症となります。

これは漢方における定義的原則ですね。


 虚実弁証

実虚というのは、病勢といって、病気の勢いについての分類ですね。つまり、病邪といって、病気の原因になるような要素の勢いと体力の比較ですね。その場合、体力が弱い場合は一応、虚証といえるわけですね。

とにかく荊邪が強かろうと弱かろうと、体力が弱ければ、虚証ですね。

実証の定義としては病邪が強いということです一すると、体力が弱いことが虚証で、病邪が強いことが実証ですが、この両方が同時に存在した場合にどうなるか。

大体、漢方医学においては、陰陽が同時に存在すれば、陰のほうが優先的にとられるのが原則ですね。

例えば、表証と裏証が同時におこれば、裏証と解釈する。

また熱寒の定義の場合も、炎症が著しいために機能が著明に退化したら、これは寒証にはいるわけですね。

炎症で熱証と定義されるのは、炎症の絶頂期までで、発赤とか熱感が著明なときで、炎症の末期で機能が破壊されたら、機能衰退が長期かつ顕著となり、機能衰退と炎症がかちあったときに結局、寒症と定義づけられる。

これと同じように、体力の弱さと、病邪の強さがかちあったときは体力の弱さに目標をおいて一応虚証になるわけですね。

すると、実証というのは、厳格にいうと、体力(抵抗力)が強いという前提のもとに、病邪も強いというのが実証ですね。

この2っの条件の2つの方向を組み合わせると、4っの場合がある。

この4つの場合を分析すると実虚が判然としてくる。まず

①体力(抵抗力)が強くて病邪が強い場合実証ですね。
②体力が強くて病邪が弱い場合、これは病気に至らないで、この場合は無病ですね。
③抵抗力が弱くて病邪が強い場合は虚証ですね。
④抵抗力が弱くて病邪も弱い場合も虚証ですね。
以上のような実虚のイメージを前提とすることが必要ですね。

 寒熱弁証

熱証というのは、機能異常亢進的、亢奮的、炎症的な病の性質をいい、寒証というのは、機能異常衰退的、萎縮的、アトニー的な病性を示しています。

表裏についての択一的選択に成功したあと、今度は熱寒についての択一的選択を行なわなければならない、熱寒についての択一的選択は、表裏の決まったあとになされるのだから、表裏がすでに決まっているという前提にたっている。だから、表症が決まったあとの熱寒の選択と、裏症が決まったあとの熱寒の選択とに分けられます。

表証と決まったあと、すなわち頭身痛、体表苦、稽留熱、浮脈などの表証にあたる症状が1つか、あるいはいくつかはいっているなかで、そこから熱寒を区別する場合、定義として、熱寒すなわち、

①ほてりがはなはだしくて悪感が軽いものを表熱症といって、悪寒がはなはだしく、熱感が軽いものを表寒症という。

この場合に、軽いということは、全然ないことも含めて軽いという。

熱感と悪寒を天秤にかけて考える場合に、ときには、うまく択一的選択ができないが、この場合は、

②口渇があれば、必ず熱証と考えます。

口渇がなければ、

③もし飲むとすれば、熱いものを飲みたいか、冷たいものを飲みたいかによって、熱寒を分ける。口渇がなくとも、飲むとすれば、冷たいものを飲みたがるものは、熱証にはいる。口渇がないし、飲もうとするとき、熱いものをほしがるのは、これは表寒証にはいる。口渇がありながら、飲みたいとすれば、熱いものを飲みたいという場合も表熱証にはいるわけです。

この飲料嗜好と口渇による、熱寒の区別は、単に、表熱・表寒の区別ばかりでなくて、裏熱・裏寒の区別の場合にもあてはまる。ことに裏熱証と裏寒証は、もっぱら、この飲料嗜好と口渇による区別で、うまくゆくものです。

④裏熱と裏寒の区別は、この2つの区別以外に次のような区別のしかたもできます。

心胸悶といって、心臓部、胸部あたりが苦しいとか、そういう場合は、裏熱証である。四肢冷といって、手足が冷たくなる場合は裏寒証だといえます。

 備 考

区切り

中医学(漢方)は中国(China)で生まれ、発展した体系医学です。その起源(origin)は遠く2千3百年以上も前に遡ります。そして、日本にも古く(5世紀)に中国から朝鮮半島を経て伝わり、日本独自の発展をしました。

自然(nature)との調和(harmony)を求め、自然に学ぶ。自然を活かし、人(human being)を活かす。自然の恵み(mercy)。

五行説

五行:万物(all things)が木(tree)・火(fire)・土(earth)・金(metal)・水(water)の5つの要素で構成され、自然界の現象はこれらの運動や変化によって説明できるとした世界観です。リンク陰陽五行説(positive and negative,five classification theory) »