漢方薬 中医師 漢 方

伝統医学を本格的に学ぼうとする人にとって、薬草個々の古典的解説書となれば、まず『本草綱目』(生薬学の教科書)をあげねばならないです。
中国では古来、医薬の学を“本草”と称し、薬のもととなる多数の植物、動物(人も含む)、鉱物からの医薬品をいい、本草の学問を“本草学”といっています。
中国の薬物書は内容が豊富であり、その最古のものは、後漢の時代にできたという『神農本草経』であり、6世紀に梁の陶弘景が校訂したものが後世に伝わっています。
『本草綱目』は、明の李時珍(1518〜1593)によって書かれたもので、彼は、中国医学が世界に誇る薬学者の一人で、一開業医として生涯を送りましたが、本草学に異常な興味を抱き、全国を採取旅行して研究材料を集め、27年がかりで完成したのが『本草綱目』全52巻の大著です。

明の李時珍は、従来の本草書の知識を集めるとともに、約1900種の薬用植物、動物、鉱物などを16部60類に分けて、その産地、性質、製薬方、効能などを解説し、また、従来の説に対する批判を加えて、万暦6年(1578)完成し、同18年に刊行。その死後、同31年に再び刊行されたのです。この本はたびたび改訂、復刻されたが、現在でも非常に権威のあるものです。
西洋人が伝統医学から取入れた薬のなかには、“大黄” “鉄” “ヒマシ油” “カオリン(白陶土、含水圭酸アルミニウム)” “トリカブト” “樟脳” “インド大麻”などがあります。“大風子油”は中国ではすでに14世紀に癩治療に用いられていましたが、西洋で用いられたのは今から1世紀前にすぎないです。“麻黄”という植物は、中国では少なくとも4000年にわたって用いられてきました。この植物からエフェドリンというアルカロイドが日本の長井長義によって取り出され、それが現代医学で喘息やこれに類似する症状に用いられて、治療法が大いに改善されました。

「日本には慶長12年(1607)に入ってきたものを、本草学者・小野蘭山が、孫の職考と門人の岡村春益に口述、筆録させ補訂した『本草綱目啓蒙』(全48巻)に1880種余が記載され、享和3年(1803)に刊行されたのです。これによって、江戸期に本草学が一段と流行。数多くの本草書が編さん、上梓され、わが国の本草学の隆盛を極めるに至ったのです。
最近、一部の化学薬品に対する一般の人々の不信と警戒から、作用が緩和で副作用の少ない天然薬物、特に薬草への関心が高まり、その書籍もぼう大な数にのぼりますが、その殆んどは“薬草書”的な写真主体の薬草知識が主体の本です。
それに比して、むしろ欧米では、学術的研究のために『本草綱目』がいま注目されているのです。とくに、アメリカのサプリメント市場(日本の健康食品市場とは違って、法的にも確立された市場)では、薬草全般(生薬)を“ハーブ”と称し、製品の開発をこの『本草綱目』に求めている場合が多いのです。
そういったこともふまえて、『本草綱目』は、まさに現代の医薬品の原典であると考えられます。

■李時珍の像