生薬解説牛黄ごおう

生薬解説 牛黄

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中国における薬物の応用の歴史は非常に古く、独特の理論体系と応用形式をもつに至っており、現在では伝統的な使用薬物を「中薬」とよんでいます。

中薬では草根木皮といわれる植物薬が大多数を占めるところから、伝統的に薬物学のことを「本草学」と称しており、近年は「中薬学」と名づけています。

中薬学は、中薬の性味・帰経・効能・応用・炮製・基原などの知識と経験に関する一学科であり、中医学における治療の重要な手段のひとつとして不可分の構成部分をなしています。

【大分類】開竅薬(かいきょうやく)…精神を覚醒させる中薬です。

キャッチコピー強心、鎮静、鎮痙、解熱、解毒

【学 名】…Bos taurus L. var. domesticus Gmelin

 概 要

強心、鎮静、鎮痙、解熱、解毒に用います。牛の胆嚢や胆管内に病的にできた結石で胆汁酸、アミノ酸などを含みます。

●解熱薬としてかぜ薬に処方したり、強心薬として用います。


 生薬生産地

中国地図 【その他産地】…オーストラリア


 処方と調合

現代では牛黄は『日本薬局方』という医薬品の公定書に記載され、滋養強壮薬、強心薬、小児用薬、かぜ薬や胃腸薬など様々な医薬品に使用されていますが、現在の利用法のもとになった文献には一体どのようなことが書かれていたのでしょうか。

薬の種類 ●牛黄に関する最も古い記載は『神農本草経(シンノウホンゾウキョウ)』にあります。そこには「驚澗寒熱(キヨウカンカンネツ)、熱盛狂痙(ネツセイキョウケイ)。邪(ジャ)を除き、鬼(オニ)を逐(オ)ふ」と記されています。これは主として急に何物かに驚いて卒倒して人事不省になってしまう者や、高熱が続き、痙攣(ケイレン)を起こしたり、そのために精神に異常をきたしたりした者の治療に使用し、また人に悪い影響をあたえる邪気をとり除き、死人のたたりの鬼気を逐い払う作用があるとしています。

●これは即ち邪や鬼といったもので現わされる病気を駆逐したり、病気にかからないようにするといったように治療のみならず予防医学的にも使われていたようです。中国の梁(リョウ)(5~6世紀)の時代の陶弘景の著した『神農本草経集注(シンノウホンゾウキョウシュウチュウ)』には漢の時代の『名医別録(メイイベツ口ク)』の引用として「小児の百病、諸癇熱(カンネツ)で口の開かぬもの、大人の狂巓(キヨウテン)を療ず。久しく服すれば身を軽くし、天年を増し、人をして忘れ,ざらしめる」と記しています。これは子供の病気ならどんなものでも、高熱を発して歯をくいしばって口を開かなくなってしまう者や、大人なら精神錯乱を治し、長期間にわたって服用すれば新陣代謝を盛んにし、寿命をのばし、物忘れしなくなるということでしょうか。

●『名医別録』にも記載されていますが、牛黄の面白い作用に「人をして忘れざらしめる」というのがあります。これは宋の時代(10世紀)の大明が著した『日華子諸家本草(ニッヵシショカホンゾウ)』という書物にも「健忘」としてあげられており、いわゆるボケの予防又は治療に用いられてきたと考えられます。

●現代の中国では、牛黄を芳香開竅薬(カイキョウヤク)というカテゴリーに分類し、脳卒中や脳梗塞などの脳血管障害による意識障害に用いているところをみると、古い書物の臨床適応も十分納得がいきます。

●牛黄の薬理作用の一つに末梢の赤血球数を著しく増加させるといった報告がありますが、これなどもボケなどの脳血管障害には有効に働くものと考えられます。

●牛黄にはこの他、時代が下って行くにしたがって様々な臨床適用が付け加えられ、ますます重要な薬になってきています。

●中国では、その何物にも替え難い薬効を、なんとか多くの患者に利用しようと、人造牛黄まで作って臨床に応用しています。


 伝統的薬能

●牛黄は苦涼で芳香を有し、涼肝嶋風定驚と清心開襲甜淡の効能をもつので、熱病神昏講語・中風疾迷昏蕨・癩病発狂・驚風抽揺などに適する。

●涼血解毒・防腐の要薬でもあり、小児胎毒・癌腫庁瘡・咽喉腫欄・牙指口瘡などに、内服・外用して有効である。

薬物の治療効果と密接に関係する薬性理論(四気五味・昇降浮沈・帰経・有毒と無毒・配合・禁忌)の柱となるのが次に掲げる「性・味・帰経」です。

生薬中薬)の性質と関連する病証
性質作用対象となる病証

寒/涼

熱を下げる。火邪を取り除く。毒素を取り除く。

熱証陽証陰虚証。

熱/温

体内を温める。寒邪を追い出す。陽を強める。

寒証陰証陽虚証。

熱を取り除き、内部を温める2つの作用をより穏やかに行う。

すべての病証。


【帰経】…心・肝
帰経とは中薬が身体のどの部位(臓腑経絡)に作用するかを示すものです。

【薬味】…苦凉  まず心に入ります。
※味とは中薬の味覚のことで「辛・酸・甘・鹸・苦・淡」の6種類に分かれます。この上位5つの味は五臓(内臓)とも関連があり、次のような性質があります。
生薬中薬)の味と関連する病証
 味作 用対象となる病証対象五臓

辛(辛味)

消散する/移動させる。体を温め、発散作用。

外証。風証。気滞証。血瘀証。

肺に作用。

酸(酸味)すっぱい。渋い。

縮小させる(収縮・固渋作用)。

虚に起因する発汗。虚に起因する出血。慢性的な下痢。尿失禁。

肝に作用。

甘(甘味)

補う。解毒する。軽減する。薬能の調整。緊張緩和・滋養強壮作用。

陰虚。陽虚。気虚。

脾に作用。

鹹(塩味)塩辛い。

軟化と排除。大腸を滑らかにする。しこりを和らげる軟化作用。

リンパ系その他のシステムが戦っているときの腫れ。

腎に作用。

苦(苦味)

上逆する気を戻す。湿邪を乾燥させる。気血の働きを活性化させる。熱をとって固める作用。

咳・嘔吐・停滞が原因の便秘。排尿障害。水湿証。肺気の停滞に起因する咳。血瘀証。

心に作用。

淡(淡味)

利尿。

水湿証。

【薬効】…強心作用  血栓症改善作用  赤血球新生促進作用  血圧降下作用  解熱作用  鎮静作用  抗炎症作用  鎮痙作用 

【学 名】…Bos taurus L. var. domesticus Gmelin

【禁 忌】…①中風に対しては、入購入臓して疾がつまり意識がない場合にのみ便用する。単なる中経中絡で、四肢の不随・顔面神経麻痩・知覚低下などを呈しているときに用いると、邪を裏に陥入させて病状を悪化させるおそれがある。

②営分熱がない場合や脾胃虚寒には用いない。

③妊婦には慎重を要する。


 生薬の画像

【基原(素材)】…ウシ科ウシBos taurus L. var. domesticus Gmelinの胆嚢もしくは胆管中に病的に生じた結石です。

牛黄の画像


牛黄は牛の胆石です。


牛黄の断面画像


牛黄の写真


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 方剤リンク

本中薬(牛黄)を使用している方剤へのリンクは次のとおりです。関連リンク


  関連処方牛黄清心丸 »


生薬 生薬は、薬草を現代医学により分析し、効果があると確認された有効成分を利用する薬です。 生薬のほとんどは「日本薬局方」に薬として載せられているので、医師が保険のきく薬として処方する場合もあります。


中薬・中成薬 中薬は、本場中国における漢方薬の呼び名です。薬草単体で使用するときを中薬、複数組み合わせるときは、方剤と呼び分けることもあります。
本来中薬は、患者個人の証に合わせて成分を調整して作るものですが、方剤の処方を前もって作成した錠剤や液剤が数多く発売されています。これらは、中成薬と呼ばれています。 従って、中国の中成薬と日本の漢方エキス剤は、ほぼ同様な医薬品といえます。


 詳 細

●牛黄と書いてゴオウと読みます。さて、それでは牛黄は何かと言うことになりますが、一言でいえば牛の胆嚢(タンノウ)などにできた結石、すなわち胆石です。

●なんだ牛の胆石かというなかれ、この胆石、牛千頭に一頭の割合でしか発見できない大変な貴重品なのです。

●中国明の時代の偉大な本草学(薬用植物学)者である李時珍(リジチン)の著した『本草綱目(ホンゾウコウモク)』にも「薬物として高価なることこれ以上のものはない」と記されているのも、その効きめだけではなく、現在のように大量に牛を屠殺することのなかった時代では入手がきわめて困難であったためではないでしょうか。

●また近年、衛生管理が行届いた牧場が増えたため、胆石を持った牛が少なくなり、牛黄は益々貴重な生薬となってきています。

●牛黄は約1センチメートル~4センチメートルの不規則な球形または角のとれたサイコロのような形をした赤みがかった黄褐色の物質で、手に取ってみると意外に軽く、割ってみると、木の年輪のような同心円状の層があります。

●また口に含んでみると心地好い苦みと微かに甘みのあるものが良品とされています。値段が高いため古来ニセ物が多く、カレーの黄色の素として有名なウコンを練固めたものや、白泥に牛の胆汁を混ぜて作ったものなど色々あったようです。

●現在は科学的な分析法で品質評価をするため、このようなものは殆ど輸入されなくなりましたが、ニセ物がなくなったわけではありません。

●特に粉末にしてしまうと区別が難しくなるため『日本薬局方(ニホンヤッキョクホウ)』では粉末にしたものは適合品とは認めていません。


 備 考

牛黄は子供にもよく使えるため、宇津救命丸にも配合され、赤ちゃんから小児までの夜泣きや、かんむし、ひきつけ、下痢、消化不良、胃腸虚弱、乳はきに効果があります。これらの効能以外にも養生薬として丈夫な体を作ってくれるので、昔からある処方なのです。
大人が使う処方には、救心、六神丸、感応丸、清心丸、霊黄参などに配合され、緊急救命薬として、または慢性病や重症の病気や、難病によく使われ薬草よりも動物生薬なので切れ味があります。


生薬陳列

 生薬の書物の歴史

1.【神農本草経】(西暦112年)
中医薬学の基礎となった書物です。植物薬252種、動物薬67種、鉱物薬46種の合計365種に関する効能と使用方法が記載されています。
神農本草経

神農神農:三皇五帝のひとりです。中国古代の伝説上の人といわれます。365種類の生薬について解説した『神農本草経』があり、薬性により上薬、中薬、下薬に分類されています。日本では、東京・お茶の水の湯島聖堂 »に祭られている神農像があり、毎年11月23日(勤労感謝の日)に祭祀が行われます。



2.【本草経集注】(西暦500年頃)
斉代の500年頃に著された陶弘景(とうこうけい)の『本草経集注(しっちゅう)』です。掲載する生薬の数は、『神農本草経』(112年)の2倍に増えました。 本草経集注(しっちゅう)
松溪論畫圖 仇英(吉林省博物館藏)
松溪論畫圖 仇英(吉林省博物館藏)

陶弘景(456~536年)は、中国南北朝時代(420~589年)の文人、思想家、医学者です。江蘇省句容県の人です。茅山という山中に隠棲し、陰陽五行、山川地理、天文気象にも精通しており、国の吉凶や、祭祀、討伐などの大事が起こると、朝廷が人を遣わして陶弘景に教えを請いました。
そのために山中宰相と呼ばれました。庭に松を植える風習は陶弘景からはじまり、松風の音をこよなく愛したものも陶弘景が最初です。
風が吹くと喜び勇んで庭に下り立ち、松風の音に耳をかたむける陶弘景の姿はまさに仙人として人々の目に映ったことでしょう。



3.【本草項目】(西暦1578年)
30年近い歳月を費やして明代の1578年に完成された李時珍(りじちん)の『本草項目』です。掲載する生薬の数は、約1900種に増えました。
『本草綱目』は、1590年代に金陵(南京)で出版され、その後も版を重ねました。わが国でも、徳川家康が愛読したほか、薬物学の基本文献として尊重され、小野蘭山陵『本草綱目啓蒙』など多くの注釈書、研究書が著されています。
本草綱目は日本などの周辺諸国のみならず、ラテン語などのヨーロッパ語にも訳されて、世界の博物学・本草学に大きな影響を与えています。
本草項目
儒者・林羅山(1583~1657年)の旧蔵書

李時珍 李時珍(1518~1593年)は、中国明時代(1368~1644年)の中国・明の医師で本草学者。中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や奇経や脉診の解説書である『瀕湖脉学』、『奇経八脉考』を著した。
湖北省圻春県圻州鎮の医家の生まれです。科挙の郷試に失敗し、家にあって古来の漢方薬学書を研究しました。30歳頃からあきたらくなって各地を旅行し調査したり文献を集めたりはじめます。ついに自分の研究成果や新しい分類法を加え、30年の間に3度書き改めて、1578年<万暦6年>『本草綱目』を著して、中国本草学を確立させました。
関連処方李時珍、生家にて »



4.【中医臨床のための中薬学】(西暦1992年)
現在、私が使用している本草の辞典です。生薬の記載個数は、約2,700種に増えました。
神戸中医学研究会の編著です。
中医臨床のための中薬学


区切り
ハル薬局

 古 典

●牛黄は日本最古の法典である「律令(リツリョウ)」に「凡(オヨ)そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収(ト)れ、若(モ)し牛黄を得ば別に進(タテマツ)れ」と記されています。

●これは、国の所有する馬や牛が死んだら皮や角などは集めておかなければならないということと、もし牛黄が見つかったら必ず中央政府に献上しなさいという意味です。

●またこの「律令」の注釈書にも牛黄が何であるかの説明がないことから、日本でも7世紀頃には、すでに牛黄が牛の内臓中にあって薬用になるものだということが多くの人々に知られていたと考えられます。

●牛黄は紀元前後1~2世紀の間に体系化されたといわれる中国最占の薬物書である『神農本草経(シンノウホンゾウキョウ)』に上薬(ジョウヤク)として収載されています。『神農本草経』には三百六十五種類の薬物が上薬、中薬、下薬と3種類に分けて収載されています。上薬というのは「命を養う薬」という意味で、毒が無く、最を多く飲んだり、続けて服用しても副作用などの害がでない薬で、飲み続けると代謝機能が円滑に営まれるので、体の動きは軽くなり、元気を増して老化を遅らせ寿命を延すという概念の薬です。

●また、5世紀頃北インドで成立した大乗仏教の主要な経典である『金光明経(コンコウミョウキョウ)』にもサンスクリット語の牛黄のことである(ゴロカナ)という名の記載があります。 中国・インド これらから推察すると、多分、牛黄は中国かインドで薬として使われ始め、仏教と共に朝鮮半島を経て、奈良朝以前の我が国へ伝来したものと考えられます。

●このように東洋では古くから知られていましたが、西洋へもペルシャを通じて紹介されたようで、英語でbezoar、フランス語でbezoardと呼ばれていますが、これらはみなペルシャ語のpadzahrから転じた言葉のようです。Padは「除く」zahrは「毒」という意味で、すなわち解毒剤ということです。

牛黄・ポルトガル ●西洋に伝わった牛黄は16世紀に入るとポルトガル人やオランダ人によってふたたび我が国へもたらされました。ポルトガル人はこれをペドロ・ベゾアルと言っていましたが、日本人はこれをヘイサラバサラと聞きなし、牛黄とは別の物だと思ったようです。

●しかし、江戸時代の百科事典である寺島良安の『和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)』を見ると、鮮荅(サトウ)という項が牛黄と並んでいます。この鮮荅の別名にヘイサラバサラとヘイタラバサルとでています。説明によると、この二つの呼び名はオランダ語であるとしています。

●鮮荅は牛黄を含む獣類の胆石の総称で、それぞれ牛のものを牛黄、鹿のものを鹿玉(ロクギョク)、犬のものを狗宝(コクホウ)、馬のものを馬墨(バボク)などといって薬用に供するとの解説がありますから江戸時代の人々は正しい認識を持っていたようです。


【中国での一般的服用量】…0.15~0.3g


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